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2000年7月3日〜7月9日 東京銀座画廊・美術館 |
限りない可能性 ―メチエ展に寄せて― 美術評論家 中野 中 作家は処女作に向かって成熟する、と喝破したのは亀井勝一郎であったかと思う。作家を、画家、と置き換えてもこの謂は真理であろう。処女作には、その画家にとって永遠のテーマが包蔵されている。その永遠に向かって回帰するドラマが画業であり画家人生となるわけである。 〈メチエ〉展につどう六人は、いずれも三十歳前後、多摩美大学院で共に学んだ面々で、メンバーの多少の出入りはあったが、すでに今回は三回目である。グループ展ではあるが、格別のプロパガンダを持つわけでなく、むしろ個々の視点を大切にしながらの競い合いである。しかも大作で真価を問う。処女作というわけではないが、若い彼らの仕事には色濃く固有の資質が埋蔵されているに違いないし、本人の自覚は知らず永遠のテーマが包含されているに違いない。絵を描くことに人生を懸け、絵狂いの日々、過酷な自己投資をみずからに強いる六人の、無限の可能性が展開される。 |
会場風景
左の作品から 清水智和 千々岩修 渡辺真木彦
メチエについて グループ展「メチエの未知へ」は、1997年開催した「絵画出発1997」から山本佳永を新メンバーとして加え、「メチエの未知へ」と展名を変更し、2回目を経て今回3回目を向えます。 当初、“日本画”“絵画”“作家としてやる気の有る面白いヤツ”、“多摩美”といったキーワードをもとに表現の異なる作家によるグループ展とし、20代から30代にかけての作家としてもっとも変化の激しい時期の個人個人の成長を見てもらいたいという単純な理由で始まりました。 もとより日本画という世界は非常に閉塞的な状況の中にあり、公募団体や個人活動の場も住み分けがはっきりと別れています。ただし自分達はそれを否定するつもりはありません。なぜならば近年日本画を考察、解体を唱える展覧会も多々開催されていますが、やはり対日本画ということに拘っていけば所詮は日本画の中に新たな現代美術日本画というジャンルがひとつ増えるだけで、本来ボーダーレスな芸術界との溝は埋まるというわけでは無いでしょう それならばむしろ、日展あり現代美術ありの今の日本画が内包している要素を一緒に並べることによって、その中での差異を見てもらうという形式を打ち出していくのが良いのではないかという考えに帰結したのです。 また、小さな空間では表現できない大作を発表していくには、個人では難しいという問題もあります。ジャンルとしてではなく個人としての作品がどう変化していくか、またグループから離れたところでの個人活動をグループ展にどうフィードバックしていくか、あくまでも実験的な活動空間としてこれからも展開していきたいと思っております。 メンバー一同 |
会場風景 左の作品から 林 克彦 山本佳永 |